大高取山から越生梅林 (第57回 歩こう会)
ここ数日急に春めいて、梅の花も一気に満開になって来た3月9日(土)、梅見を兼ねて、埼玉の越生にある低山(標高376m)大高取山に登り、越生梅林に降りるコースを探索した。
快晴に恵まれた当日午前9時半、東武越生線越生駅に13名のメンバーが集結、挨拶と準備運動もそこそこに早速大高取山目指して出発した。
越生駅から西に進み車道を横切ると直ぐに法恩寺に突き当たる。天平10年に、僧行基を開祖として創建されたという古い寺で、現在は真言宗智山派に属している。本尊は大日如来で越生七福神の内「恵比寿」を祀っている。山門と鐘楼は享保の建築で越生最古の建築物という。庭園も良く整備されており、松柏も立派で古刹の趣を湛えていた。
本日の安全を祈願し、山門を出て左折、寺を巻くようにして車道を登って行くと左手に越生神社が現れた。以前は琴平宮であったが明治42年に八坂神社など周辺の神社を合祀して越生神社となったもので須佐之男命と午頭天王を祀っている。境内にはサクラの古木が数本あったがつぼみはまだ固く、枝垂れ梅も咲き始めたばかりであった。
神社を後に坂を登ると、高取山と書かれた道標を左に分けて間もなく正法寺の入り口、右へ坂を下って童子の像が浮き彫りにされた石碑や六地蔵のある広場に出た。本来の参道である石段の上に山門があった。この山門の扁額は山岡鉄舟の揮毫という。境内の梅の木は二分咲き程で、福寿草が鮮やかな黄色の花を咲かせていた。正法寺は臨済宗の寺で、本尊は聖観音菩薩、越生七福神の内「大黒天」を祀っているがお堂の扉が閉じられており、拝むことは出来なかった。
もとの車道へ戻り、広大な階段状の墓地の間を抜けると、やがて大観山に到着。ちょっとした広場になっており、周囲にはサクラの巨木が植わっている。花見の時期には大勢の人で賑わうという。その先のやや長い石段を登ると世界無名戦士の墓がある。白亜の霊廟は扇形の優雅な建物で第二次大戦の戦死者を彼我の別なく祀った慰霊塔である。階上からの展望は素晴らしく越生の街のみならず関東平野が見渡せる。
ここで、昼食時に沸かす湯のための水を補給する予定であったが水道が見当たらない。
やむを得ず、田中典明さんが先ほどの正法寺まで戻り、水を調達することになって引き返して行った。山下政晴さんが彼を待って後に残り、他のメンバーは中途半端になったが写真を撮って先に行くことにした。裏に回ると水タンクがあったが蛇口をひねっても水は出ず、この時期タンクは空の模様であった。
この先は山道となり、傾斜はそれほど急ではないが木の根なども出ており、やや歩きづらい。檜林になっており、ところどころ木々の合間に越生の街が見下ろせた。11時半ごろに西山高取に到着。やや開けてベンチがあり、若干眺望もよい。途中追いついた二人を含めここで小休止。気温が上がって汗ばんできたので、ジャンパーなどを脱ぐ人もあり、ペットボトルの水分補給もあって、ひと息ついた。
この先は一端山道を下り、登り返して尾根道を行く。途中樹木の間から空かして見るとスギ花粉か黄砂か?全体に黄ばんだ靄が立ち込めていた。アップダウンを繰り返す。途中幕岩と呼ばれる景勝地への道を左に分け、西山高取から30分程で桂木観音への分岐に着いた。杉林の中で広場になっており、ベンチも幾つか置かれている。
展望は良くないが、昼食を採るには十分な広さがあり、ここで昼食タイムとなった。
各自適当な場所を選んで、自前の弁当を広げたが、早速田中さんが担いできたリュックの中身を取り出して湯を沸かし、さつま揚げやアジの干物を焼いて皆に供し、また赤ワインを勧めたりしたので、思いがけずに宴会気分となった。さらに、スパゲッティを湯がいて明太子クリームパスタを調理、なにしろ20kg超とも思える荷を背負っていたのがこれだったと一同納得した。戸次さんからも黒糖焼酎やおつまみが振舞われて、昼食タイムは予定を大幅にオーバーしたが、満足できたひと時だった。
ここから桂木観音への道を左に分け、わずか5分程で大高取山の山頂(376.4m)。樹林の中で狭くまた展望も望めないが山頂表示と三角点があり、ここで休憩しているグループもあった。一行は立ち止まることなく越生梅林を目指して山頂を後にした。
下りは急な坂道で、滑りやすいところもあって、転倒しないよう気をつけて下る。
丸太の階段を下って左手に道を採ると、円通寺に到る。ここは曹洞宗の寺で越生七福神の内「寿老人」を祀っている。ここから100mほど先に自然休養村があり、途中の道の左右は梅の畑になっていて満開の梅からかぐわしい香りが漂っていた。またこの辺り一帯は柚子の産地で、季節遅れだが黄色い実を付けた柚子の木を見ることが出来た。
自然休養村には、休憩所があって農産物や特産品等を売っており、コーヒーなども頼める。ここで小休止の後梅林に向かって出発。
梅林小学校の脇を抜けて道灌橋という小さな木の橋を渡った直ぐ先に建康寺という小さな無住の寺があった。この辺りに隠居していた大田道灌の父道真が道灌の死を悼んで建康寺を建て菩提を弔ったという。境内には紅白の梅がひっそりと咲いていた。
つぎに越生七福神の内「福禄寿」を祀っている真言宗の寺で紅梅・白梅が美しいという最勝寺に向かって車道を歩く。行く程に車の数が増えてしだいに渋滞して来た。人も大勢歩いていて、民家の庭が臨時駐車場になっていた。混雑にまぎれていつのまにか道の左側に有るはずの最勝寺を見逃して通り過ぎ、さらに近くに有る梅園神社(旧小杉天神社=スダジイ林が埼玉県指定の天然記念物になっている)もスキップ。
臨時の入り口から越生梅林に入場(入園料200円)2ヘクタールの敷地に樹齢600年の古木など千本の梅が植えられており、折しも梅まつりの期間とあって、農産物や土産物を扱う売店なども出ていた。一同揃っての記念撮影。30分間の自由行動とする。
梅の外にもまんさくやさんしゅゆなどが黄色い花をつけ、樹下には福寿草も見られた。
梅まつりを堪能した後、川越観光バスにて越生駅に戻り、解散となった。参加者(坂井大和・恭子、戸次笛子、小野二六・和江、江藤浩一、葛城征志、加志田智久、松永幸一、姫野易之、田中典明、山下政晴、梅谷覚雄以上13名=敬称略)
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