谷根千(日暮里~谷中・根津・千駄木)を探訪 (第59回 歩こう会)

 5月11日(土)は生憎の悪天候であったが、都内の街歩きなので、延期せずに実施した。ただし当初の予定を一部カットして短縮の例会となった。

 午前9時、日暮里駅南口(やや分かり難くて、迷い易い)に集合したメンバーは11名。降りだす前にできるだけ予定をこなそうと、挨拶もそこそこに出発。

 駅を出てすぐのもみじ坂を登ると左手に天王寺がある。江戸時代に幕府の政策で日蓮宗から現在の天台宗に改宗させられたそうで、毘沙門天を祀る他、境内には釈迦如来の大仏が鎮座している。幸田露伴の小説のモデルとなった五重塔は焼失して今はない。巨木の繁る静かな境内をひと巡り。

 天王寺から桜並木の車道へ出てしばらく歩き、天王寺駐在所を右折。駐在さんが表に出て、自転車の小父さんと立ち話をしていた。300m程先の突き当たりが観音寺の築地塀で、ここは数年前、台東区まちかど賞に選ばれたそうだ。観音寺の路地を挟んだ隣が長安寺。臨済宗妙心寺派の禅寺で寿老人を祀っている。明治初期の日本画家・狩野芳崖の墓がある。寺の梵妻とおぼしき女性が墓所の掃除をしていた。

 長安寺を出て細い車道を右に進む。車の通行が割に頻繁でよけながら歩く。左手に笠森稲荷が移設されている功徳林寺を見送り、大きな通りに辿りつく、左手角にパン屋がある。この通りが三崎坂で右折して坂を下る。石屋の先に臨済宗国泰寺派の禅寺・全生庵がある。山岡鉄舟の発願で維新の戦没者を祀っているところだ。山岡鉄舟や三遊亭円朝の墓があり、円朝の幽霊画のコレクションがある、8月には落語会が開かれ、幽霊画が公開されるそうだ。霊園には金色の観音像が祀られている。霊園を巡っているとついに雨が落ちて来た。

 全生庵から右に100mほど行くと信号があり、道路の反対側には昨年創立110周年を迎えた谷中小学校がある。この交差点のすぐ先の右手に日蓮宗の大円寺がある。門を入ると正面に本堂があって左右に扉が分れている。雨も少し本降りになってきたが瘡守稲荷があって、笠森お仙の碑と、永井荷風の揮毫になる浮世絵師鈴木春信の顕彰碑があるというので、探していると、境内を掃除していた小父さんが本堂の由来を説明してくれた。本堂の左手は日蓮上人を祀り、右手は瘡守稲荷を祀るが、明治初期の廃仏毀釈によって稲荷は薬王院とされたという。又境内の中央に大きな木があって、木ささげと云い、利尿作用のあるマメ科の実がなるとの話であった。10月には寺の境内と周辺で谷中菊祭りが開催され、菊人形等も飾られるようだ。

 小父さんにお礼を言って寺を後にした。少し戻って小学校の交差点を渡り、坂を登って行くと5分ほどで大名時計博物館に着く。ここまで急ぎ足でやって来たので、予定より1時間以上早く着いた。ここは陶芸家・上口愚朗が収集した大名時計を旧勝山藩の下屋敷跡に昭和26年に展示し始めたもので、開館時間の午前10時には10分程前であったため、扉が固く締まっており、雨の中しばらく待たされた。時間が来ても開かないので、勝手口のインターホンを押そうかと云ってたら、あたふたと戸を開けに来た。庭は草が生い茂り、建物も長年手入れをしてなくて、思いのほか小さな博物館でした。江戸時代の大名が持っていた和時計が数十点展示されていたが、併せて愚朗師の陶器が展示されており、愚朗老人と附き合いの深かった棟方志功の手書きの上絵の大皿もあった。

 大名時計博物館を出て少し戻り、あかじ坂を下って10分程歩いたところが不忍通りの根津神社入り口の交差点。信号を渡った先の右手が根津神社の表参道入口である。雨は小降りながら止みそうになく、境内には昼食が出来そうなところはなさそうであった。

 根津神社は今から1900年以上前に大和武尊が創祀したと伝えられており、元禄時代に5代将軍徳川綱吉が現在地に移築したという。権現作りの建造物で社殿7棟が重文指定となっている。4月下旬にはつつじが咲き乱れ、見物の人で賑わうようだが、この時期はすでに盛りを過ぎて境内は人影まばらであった。

 参拝を済ませ、北参道へ廻ったが、名物の「根津たい焼き」へ寄りたいとの声があって時計回りでひと巡り。不忍通りへ出て少し戻り、行列の後ろに並ぶ、お代は1個140円也。10分程でお目当てをゲット。皆さん、その場でアツアツをパクリ。お隣は「八重垣せんべい」、ここでも手土産を求める人あり。

 ここから不忍通りを北上して千駄木通り商店街を抜けて行く。喫茶店が多く目についた。千駄木駅の手前を左折して、団子坂を登って行くと5分ほどで左手に鴎外記念館の入り口がある。この建物は森鴎外が人生後半を過ごした「観潮楼」跡で昨年リニューアルオープンしたものである。図書館が併設されている。入館料500円(普段は300円だが、この日は特別展示「鴎外の見た風景~東京方眼図を歩く~」開催中のため)を支払って2階へ上がる。鴎外の生涯と業績が時系列に展示されている。鴎外の監修による東京方眼図が拡大されて床に描かれていた。一階に降りるとカフェがあり、その手前には左手に小部屋があって鴎外関連のDVDが放映されていた。

 記念館を出たら雨足が強まっていて、衆議の結果後半を大幅カット時刻も正午近くになっていたのでなにはともあれ、昼食を採ることとし、坂井さんのご案内でこれまた評判の中華レストラン「天外天・本館」へ立ち寄った。定食AとBをMIXして貰い、ビールと紹興酒で懇談。後の予定は省略してゆっくりすることになり、ここが本日の締めくくり場所と決まった。食事後解散となり、各自思い思いの交通手段で帰路に就いたが、幹事と数名の方々が日暮里まで行くことになって、不忍通りの一つ東寄りの(よみせ通り商栄会)通りを北上する。日暮里駅方面の表示を見て、右に道を採り下町の色濃い谷中銀座の商店街を抜けて夕焼けだんだんの坂を登り、「月見寺」の愛称がある「本行事」を左に分けてまた坂を下ると間もなく日暮里駅だ。

 雨の中、スケデュールは大幅に変わったがそれなりに楽しい一日となった。参加者(生田陽代・葛城征志・坂井大和・恭子・竹上英文・姫野易之・松浦靖弘・松岡幸秀・美知子・松永幸一・梅谷覚雄)以上11名。